1949年、第二次世界大戦の戦勝国となった中国は東トルキスタンを「新疆ウイグル自治区」として併合しました。ウイグル人たちは中国政府の監視下で無償労働を強制され、非常に辛い時期を過ごしました。
その後、中国政府は着々と同化政策を推し進めます。ウイグルでの昔ながらの教育は禁止され、抵抗した人々は政治犯として逮捕され激しい拷問を受け、多くのウイグル人が殺されました。
ここでは現在も続いている中国政府による弾圧、「ウイグルで起きている問題」についてそれぞれ項目に分けて解説します。
東トルキスタンを制圧し任務を終えた約10万人の中国人民解放軍は中国本土に帰ることなく、国防と生産を行う新疆生産建設兵団としてそのまま残りました…
・こちらのページに続きます→新疆生産建設兵団
東京オリンピック開幕中の1964年10月16日。中国は東トルキスタンのロプノールではじめての核実験を成功させます…
・こちらのページに続きます→中国核実験被害
現在、東トルキスタンではすべての幼稚園から大学までウイグル語での教育は行われていません。またウイグル人の子供たちは自分の民族の歴史を勉強できません…
・こちらのページに続きます→教育と宗教の弾圧
東トルキスタンでは1987年から「二人っ子政策」が実施されています…
・こちらのページに続きます→二人っ子政策と人口抑制
中国政府は東トルキスタン農村部の貧困問題を解決するという名目で、16歳から25歳のウイグル人の未婚女性を中国本土の工場に集団就職させています…
・こちらのページに続きます→ウイグル人女性の強制移住
東トルキスタンではウイグル人が雇用面で広範囲におよぶ差別を受けています…
・こちらのページに続きます→ウイグル族と漢族の雇用格差
社会から放置されたウイグル人の若者や子供たちが東トルキスタンで問題になっています…
・こちらのページに続きます→麻薬汚染とストリートチルドレン
中国政府はそのカシュガル旧市街の再開発として、6万5千世帯、約22万人のウイグル人の一方的な立ち退きと旧市街の取り壊しを続けています…
・こちらのページに続きます→カシュガル旧市街(老城)の破壊